パナソニックから分離独立したカメラメーカーの成長戦略
タイムベース競争
オープンポリシーだけでは、リーバイスの成功を再現することはできません。i-PROには、業界初、世界初という製品がいくつもありましたが、ライバルたちも負けじと日々新製品開発に勤しんでおり、とはいえ特許や技術イノベーションは短命で、過当競争が繰り広げられている、いわゆるエンジニアード・コモディティ(ハイテク日用品)の世界でした。それは、リーバイスが見つけたブルーオーシャンとは正反対の、消耗戦を強いられるレッドオーシャンと呼ばれる市場です。
このレッドオーシャンから抜け出し、競争優位を築き上げる考え方が、「タイムベース競争」という戦略コンセプトです。これは時間の価値を最大化し、ライバルとの差別化を図るという、オープンポリシーと対を成す戦略です。この2つの戦略をかけ合わせることで、製品は誰にでも提供するが、競争優位の源泉となるオペレーションのノウハウは内部に秘匿されており、他社には真似することができないという状況が生み出されます。つまり、このオペレーショナル・エクセレンスがライバルとの差別化を図り、自社の利益を守る防波堤となるのです。
タイムベース競争は、1988年にボストンコンサルティンググループ(BCG)のジョージ・ストーク2世が、世界の自動車メーカー各社を調査し、アメリカ企業は新車の開発から発売まで60カ月かかっていましたが、日本企業は36カ月であることを突き止め、特にトヨタ生産方式のコア・コンピタンスを探り当てたことに端を発します。
BCGの調査では、日本の自動車メーカーは、在庫の削減、セットアップの所要時間や中断時間の短縮、作業スペースの効率化など継続的改善を通じて、在庫回転率、機器や労働力の使用率を向上させることで、アメリカ企業以上の成長を実現していることが明らかになりました。

タイムベース競争の核心は、競争優位の源泉は時間だということです。具体的には、付加価値を生み出さない時間を最小化すると同時に、リードタイムを短縮するなど、時間をコントロールすることで、お客様の機会コストを減らし、プレミアム価格を正当化し、利益ある成長を実現するという考え方です。たとえば、平均的な納期が1週間の製品を、あるお客様からの急な要請に応えて翌日に納品できれば、6日間待っている時間がなくなるため、通常よりも高い料金を請求できるでしょう。経済学では、需要と供給が均衡するところで価格は決まるといわれていますが、ここに「時間」という変数を加味すると、納期が長ければ下方向 (均衡点1)へ、短ければ上方向(均衡点2)へと、均衡点の位置が変わってきます。つまり、需給と価格の関係は時間に大きく影響されるのです(図表3「価格は需給と時間の関数」)。
こうした臨機応変な対応を可能にするには、オペレーショナル・エクセレンスやプロセス・イノベーションが不可欠です。しかも、こうした独自の組織能力がベースになっている好循環は、ライバルへの参入障壁として機能します(図表4「戦略の好循環」)。

その最たる手本がミスミグループ本社です。もともとは三住商事という金型用部品の商社でしたが、ここにカタログ販売という通販業のビジネスモデルを持ち込み、以後ユニークな存在として一目置かれるようになります。さらに、駿河精機という部品メーカーを傘下に収めることで、部品業界のSPA(製造小売業)となり、いまや800垓(1垓は1兆の1億倍)にも及ぶ種類の機械部品を受注生産しています。
振り返って、カメラという道具の本質を見直してみましょう。プロの写真家は自分が撮る被写体やTPOに合わせて最適なカメラを選びます。ですから、何種類もの機材を所有している人が大半です。AIに要求されるカメラも同様です。画角、被写体までの距離、解像度、シャッタースピード、被写界深度など、被写体とその撮影環境に応じてカメラに要求される性能も多種多様です。優れたAIを構成するには、それら変数を最適に組み合わせた最高品質の“一点物”のカメラが要求されるのです。我々がその要求に応えるには、多品種少量生産、かつ規模の経済を働かせられる組織能力(capability)が必要になります。
カメラ業界は、スマートフォンの登場によって大きく変わりました。1モデル100万台単位でのビジネスが台頭し、多品種少量生産を指向するメーカーはいまや見当たりません。ミスミのように、垓はもとより兆や億のレベルは必要ありませんが、ミスミと同じようなビジネスモデルを導入し、同じように購入してもらえれば、他社が真似できない存在になれるはずです。言い換えれば、オペレーショナル・エクセレンスによって時間の価値を追求し続けることで、技術イノベーション、機能や性能の向上といった投資対効果を予測できない、不確実なゲームから逃れられるのです。
i-PROのタイムベース競争とは、次の2つの領域でオペレーショナル・エクセレンスを構築することを意味します。ひとつはエンジニアリングチェーン、すなわち製品開発のリードタイムであり、もうひとつはサプライチェーン、すなわち製造と物流のリードタイムです。
B2B製品の場合、多くのお客様がさまざまなニーズを要求してきます。パナソニック時代、我々はこれらの要求について需要予測を立て、なるべく大きな需要が期待できるモデルから順番に開発してきました。しかも、設計・開発の規律は厳しく、モデルごとに最小の原価で最適な「都度設計」が求められ、冗長性は許されません。その結果、ひとつのモデルを長い時間かけてつくり込むことになり、1年間に開発できる品数は限られました。
また、製造現場では、生産、販売、在庫を同時に計画するPSI(Production, Sales, Inventory)方式が採用されていました。コストの最小化と在庫の最適化には、できる限り大規模なロットを計画的に生産するのが基本であると信じられていたからです。たしかに 安全運転とはいえ、リードタイムが長くなりがちで、サプライチェーンは柔軟性に欠け、たとえば需要変動に機敏に対応できないなど、あちこちで機会損失が生じていました。タイムベース競争の観点からすれば、開発も製造も、そのオペレーションは対極にあるものだったのです。
頭ではわかっていても、長い歴史のある大企業の場合、いままでに染み付いた考え方ややり方を払拭するのは、そう簡単ではありません。複雑多岐に絡み合った課題を個別に解決しようにも、いつの間にか隘路に入り込み、頓挫してしまう。解決するには、個別の処方箋ではなく、一連の課題をいっきに解消する「概念」が必要なのです。i-PROの場合、それが「モジュラーコンセプト」です。料理店がその典型です。通常、料理店はメニューを多数用意しています。注文と同時に食材から調理するやり方もありますが、複数のメニューで共通して使われる出汁やスープ、仕込みに時間がかかる肉や魚の下ごしらえなどは事前に準備しておくのが普通です。これを生産管理の言葉で表現すると「半製品」となります。ファストフードチェーンなどでは、多様なメニューをそろえると同時に、こうした半製品をあらかじめ用意し、かつ単品の注文にも大人数の注文にもすぐさま対応できるように最低限の手間で済む調理工程を整えることで、お客に提供するまでの時間を短縮させています。
2020年、我々はそれまで何十年と続けてきた都度設計を改め、半製品の開発に着手しました。すなわち、最終製品を開発するのではなく、さまざまな種類の製品に展開可能なモジュール(汎用的半製品)の開発に転換したのです。

実は、モジュールの設計は都度設計よりも難度が高くなります。なぜなら、冗長性を最小限に抑えながら、いかに多種多様なニーズに対応できるか、いかにモジュール間の互換性を担保するかなどを考慮した設計が要求されるからです。しかし、ひとたび汎用性の高いモジュールが複数開発されれば、最終製品はすべてそれらの組み合わせで定義することが可能です。その効果は明らかで、1モデル当たりの開発サイクルが大幅に短縮され、年間に発売できる新製品の種類も大きく向上します(図表5「製品の開発期間と機種数の推移」)。進化の速いデジタル業界では、開発サイクルのスピードは、製品の種類以上に大きな意味を持ちます。サプライヤーから発売される最新のセンサーや半導体チップを恒常的に他社より早く製品化すれば、製品性能で常にリードできるからです。
生産の現場では、これら汎用モジュールを大量生産して規模の経済を働かせ、在庫として保有します。半製品の形で受注を待ち、需要に応じて素早く組み上げて出荷することで、少量のニーズにも即対応可能です。これは「マスカスタマイゼーション」とも呼ばれます(図表6「モジュール生産のプロセス」)。お客様の求めに対して、ライバルよりも速いスピードで、かつタイムリーに提供することによって、プレミアム価格を正当化し、お客様との関係性はより親密なものになります。そして、再購入の確率も高くなり、お客様のLTV(生涯価値)が向上します。

ミスミは独自のビジネスモデルで急成長を遂げましたが、その優位性の核は、汎用モジュール(ミスミ社内では「ブランク」と呼ばれます)の設計ノウハウといえるでしょう。どれくらいの冗長性であれば、どれくらい最終製品の種類を増やすことができるか、最終的に何品目のブランクを定義すべきか、どのブランクをどのように計画生産し、どれくらいの在庫を保有するかなど、こうしたノウハウが組織に蓄積されています。言うまでもなく、他社が模倣するのは極めて困難です。エンジニアリングチェーンやサプライチェーンは、製品性能と異なり、外から見えません。ですから、ひとたび構築してしまえば、他社は真似することができないため、競争優位を維持できるのです。i-PROもそれを目指しています。